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もう何年も日本に帰ってないから、昔の感覚で笑われるかも知れないけど、プエルトガレラはミスターチルドレンとか、渋カジ系の音楽がふさわしい場所じゃないかと思っている。ヒッピーも似合う。いかれたオッチャンも多い(?) で、遅ればせながら、プエルトガレラのテーマソングはこれじゃないか。永遠にこれなんじゃないか。そういう太陽と、風と、海がここにある。オリジナルラヴのサンシャインロマンス。この抜けの良さ、ここしかないです。
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![]() アジアにありながらフィリピンの人というとリズム感がよく踊りがうまく天性だとかいわれよく各地のフェスティバルが取りあげられますが、それはスペインとアメリカ文化の影響に他ならないのではと土着民族の祭りを見ていると思えたりします。リゾートとして名を馳せるプエルトガレラにはミンドロ島の土着民族のひとつであるイラヤ族のコミュニティが沢山あり、毎年フェスティバルが開かれています。2006年10月12日、町立広場でアリステオ・E・アティエンザ町長の誕生日を祝う形で催された第8回「イラヤ族の日」フェスティバルを紹介してみましょう。"PGW"マンヤンプロダクトがどのような人の手によるのかについても参考になさってください。 ![]() 低地民の小学生たちが町長とイラヤ族に向け大音量の流行り音楽で踊る一方、イラヤ族の子供たちは彼らがかつてから受け継いできたやり方を示していた。マンヤンの小学生と高校生たちは、伴奏なしに静かな踊りで伝統的な儀式を実践していた。コンタクトシートの写真ではどれがイラヤ族でどれが低地民か見分けるのは難しいかも知れないが、後者の踊りはより西洋風で“見られる”ことを意識している。 ![]() プエルトガレラはそのアジア有数の美しいビーチ群とダイビングスポットで有名だが、セブやボラカイと最も異なるのはあらゆる種類の豊かな自然があって保養の場として申し分ないことだろう。しかし日本人にはまだまだ知られていない穴場である。ビーチに加え切り立った崖状の海岸線や、海だけでなく、丘や山など変化に富んだ地勢が楽しみの選択肢を広げてくれる。気候も熱帯ながら変化に富んでいる。山の天気のように予測がつかない。だからこそマンヤンの人々は、ここで十二分に幸せに暮らせてきたのではないだろうか。 ![]() ![]() タガログ族や他の低地民がこのリゾート地帯化したプエルトガレラに移住してきたのは、せいぜいこの100年位の間だ。我が家は代々プエルトガレラに住んでいるといっても、紀元前からここミンドロ島に住み続けているマンヤンの人たちに較べればそんなに偉ぶれたものではない。しかし彼らは(そしてわれわれ先進国と呼ばれる国々の有象無象の影響を受けて)先輩である彼らを山へ山へと追いやったのだ。そしてそれから保養地としての理想郷と見たてたヨーロッパ等からの外国人がそれに続いた。こうして、年を経る毎にプエルトガレラは海外からの滞在者、旅行者が渾然一体とした国際コミュミティ化が進んでいる。 ![]() この街の少女たちが祭りのステージの出番を待って海の方に向かって座っていた。そのシーンを見て私は、日本での少年時代を思い出した。今日の日本では子供たちは多くのストレスを抱え、さながら小さな大人のようである。しかしここ、アジアのフィリピンのプエルトガレラではそのようなことはない。あくまで少女は少女だし、少年は少年なのだ。 ![]() イラヤ族の“ナチュラル”コスチュームはすでにファッションと化していた。ショーのための特別誂えなのだ。イラヤの子供たちが握っているのは土を耕す棒で焼畑農業の伝統的手法を示している。焼畑農業が全面禁止となったパラワン島と違いここミンドロ島ではいまだに実践されており、子供たちは祖先が辿ってきた身体や血の記憶を確かめているようだった。 ![]() チュグダアンパイタン(マンヤン族の高等学校)の生徒たちが深いおじぎをして、大地に尊敬と感謝の念を払っていた。これは特に儀礼的式典では重要な、わが日本のやり方とまったく同じものである。これと同じ光景は、実はパラワン島の原住民族のひとつであるパラワン族の式典でもあった。日本と同じ価値観、そしてアジアを感ぜずにはおれない。 ![]() ![]() あるイラヤ小学校の生徒たちは収穫の感謝を伝えているであろう踊りを披露してくれた。単純な動作だったが、それは溢れんばかりの歓びを表すのに十分なものだった。その恥かしそうな表情からわかるように、この踊りは余興というより神聖なものである。見られるためのものではなく、自身が楽しむためのもの。瞬間瞬間に踊り手が感じていることが手に取るようにわかるようであった。 ![]() イラヤ族はタガログ族のためにマンヤン族のなかで最も文明化された。結果、着るものも低地民と同じものに変えながら彼ら独自の文化を捨てざるを得ない状況にある。先進国の人はその暮らしを見て「みすぼらしい」と表現するかも知れない。しかし、それは違う。異なる価値観に生きるとき、マテリアリスティックな世界と同じ物差しでは測ることはできない。発展した日本社会で私が求めていたのはまさにそういう価値観だった。マテリアリズムと比べどう見えるかでなくむしろ自らの誇りを失った民族ほど惨めなものはない。 ![]() All the photos above: copyright © 2007 Tetsuya Endo. All rights reserved. |
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