アジア穴場リゾート情報・プエルトガレラより愛を込めて[Puerto Galera Wedding]
   海外挙式や穴場保養地に、フィリピンの著名なリゾート地プエルトガレラから現地情報。世界で最も美しい湾の一つは異次元の空気感、何もなくてもハッピーです。
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プロフィール

Tetsuya Endo (Ted)

Author:Tetsuya Endo (Ted)
1961年、静岡県生まれ。成蹊大学文学部文化学科卒。
日本デザインセンター、東京グラフィックデザイナーズをはじめ広告企画制作業界でコピーライター、後クリエーティブディレクターとして15年以上務めるも、売れども売れども、買えども買えども満たされず。カメラを手にカナダ横断を往復するドライブで「アジアの日本人」である以外何者でもないアイデンティティを悟るとフィリピンに移住。トロピカルリゾート地プエルトガレラで、サステイナブルエコノミーを目指しEconomy & Ecology, ECOH!をスローガンに、新しいビジネスに挑戦中。日本にいちばん近く安い、海外ウェディングのメッカをつくろう。個人・グループのお客様にマニラからのトランスポーテーション手配、マニラ・プエルトガレラの宿泊手配をします。また、写真撮影も行います。平行して、フォト&ノンフィクション"Transition Japan""A Man Goes to North"等を上市できる出版社を探しています。

escarsceo

タイムスパンを3年に区切って(3年で事業として目処が立たぬなら撤退)活動しています。人をタダ働きさせたうえ情報だけ盗む、義理人情のない非人間的行動はお慎みください。自分本位な方が来ても日本人の評判を貶めるだけです

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 理屈では割り切れぬもの。
july2002
※以前にスキャンしたのでサイズが大きめです。クリックして拡大してご覧ください。

なんで写真を撮るのかという問いは、なんで旅をするのかという問いとよく似ている。何かを探し求めて旅の後ものの見方が変わってしまうのと同じように、カメラを携えていると不思議とものの見方が変わる。深層心理でいつもどこか写真を意識しているからだし、カメラを持っていないと、ふと出くわした光景に(カメラ持ってくりゃよかったな)と、後悔することになる。現実に見える世界とファインダー越しに見る世界は明らかに異なっている。(液晶モニターに見える世界ではない。)いってみれば脳内の仮想空間と現実世界を行き来する相乗効果で、昔のキャラメルのコマーシャルではないが一粒で二度おいしい的な、ある時間をダブルに楽しむ効果があるのではないかと思う。だからこそカメラは旅に必須なのだと思う。たぶんファインダーを覗き写真を撮ることは人生の学習で、むしろきっと思い出は後からついてくるものだ。ひとはそれぞれのタイミングでシャッターボタンを押す。どんな衝動であれ、それはとうてい言葉では説明できぬ感情のはずだ。異境に住んでいるとますますこの“行間”は深まる。そういう目で昨今評価されている写真を見ていると、インパクトはあっても伝えられる内容が薄いものが多いような気がする。本当にいい写真て、強いとか弱いとか、そういうもんじゃないと思う。思わず見入ってしまうとか、いつまでも見ていてしまうとか、そういうものだと思う。それは理屈では割り切れぬ思いに、思いを馳せることができるからだし、ある意味ではいまは見る者の資質もすごく問われているのではないだろうか? こんなに写真メディアが衰退してしまった今日では、みんなに評価される写真がいいものであるわけがないと思うし、そのことはしっかり銘記しておいてよいと思う。

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※以前にスキャンしたのでサイズが大きめです。クリックして拡大してご覧ください。
All the photos above: copyright © 2008 Tetsuya Endo. All rights reserved.

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(2008/07/14(月) 11:50)

 アナログ、そしてデジタルカメラ。
故障したリコー・カプリオ500Gワイドが交換機として戻ってきたことから、写真を撮る道具であるカメラについて改めて考えさせられた。電源スイッチが入らなくなってしまったのだが、新品に交換とはまったく驚きだった。デジカメやコンピュータなどデジタル機器の寿命は5年という話が頷ける、まこと使い捨ての感覚ではないか? 駄目になったら買い直せばいい、とか、丸ごとリセットしちゃえばいい、という感覚は、そのまま安易に離婚する今日の風潮と重なって見える。実際には人生なんてリセットできないのである。人は物ではないし、物であっても、買い替えたって抜本的なモンダイ解決にはならないのである。モノを使い倒してその限界まで試してないケースが大半だからだ。メーカー側(マテリアリズム)の言い分として、ニューテクノロジーが搭載されました、という謳い文句があるわけだが、テクノロジーとそれを使う人の心の動きは別物だ。

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2000年にコンタックスN1が登場したとき、私はついに至高かつ万能な35mmフィルム一眼レフが現れたと思った。「リゾート地で思うプリミティブなる良さ」で述べたようにカールツァイスに惹かれていたし、しかも最新設計のオートフォーカスズーム。オートブラケットとともに決定的な瞬間を間違いなく収めることができる筈だった。ところが実際はがっかりしてしまった。思うような写真が撮れなかったのだ。性能が悪かったのではない。しかし機械が合わせたピントはどこか私の心とずれており、露出計が計算した明るさもまたどこかずれていた。3段階の露出のためカシャカシャカシャと3回切れるシャッターのタイミングも。つまるところ、それは私が撮った写真というよりも機械が撮った写真なのであった。肝心のゾナーレンズの写りもコンパクトカメラ並に味気なかった。上の写真は同カメラで"Transition Japan"の旅をしていたとき撮ったものだ。私はこの旅の後、ピントはおろか露出まで自分で決めなければならないフルマニュアルの機械式一眼レフ、コンタックスS2に戻った。原点回帰というわけだ。

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All the photos above: copyright © 2008 Tetsuya Endo. All rights reserved.

思えば、アナログカメラもテクノロジーに走りすぎたために衰退してしまったのではないか。京セラコンタックスが行きついたのは軽薄短小なコンパクトカメラ並みの写真であるし、オートオートと叫んで感性が摩耗していくかのような商品開発の果てにデジタルカメラにとって替わられるのは当然なのかも知れない。さて、カプリオが戻ってきて最初に撮ったのが上のフィアンセの写真である。ブレているが、これが私の感情であるし、実際この朝の彼女の心も揺れていた。コンシューマーに目を向けるカメラメーカーが手ぶれ軽減などと称したり、顔をきれいに写すモードなどといって「ニューテクノロジー」搭載に余念がないが、ただ「きれい」なだけの写真に感動があるのだろうか? カメラメーカーの皆さんももう少しプロの方に顔を向けて、写真表現の奥深さを追求していかないと、一般のひとたちの写真を見る目を養えないことになり、結局自分で自分の首を絞める結果になるのではありませんか?

軽薄短小なデジタルだからこそプリミティブな感動を大切にしたいと思う。コンデジのなかでリコーを選んだ理由のひとつはアナログ的な表現ができると思ったからで、「「プエルトガレラの光と陰」第五弾UP」で述べたが、デジタルの可能性を追求すればするほど逆にアナログ的表現になっていったのも当たり前といえば当たり前の結末だったろう。若いデジタル世代には本当にお金を払って欲しくなるような写真を撮る奴がいるが、私にはああいう写真は撮れない。なんというか目のつけどころがデジタルで、彼らにはいま市場に出回っている大半のデジタル一眼は合っているだろう。私はどっぷりアナログなので、フィルムトーンとかフィルムルックとかいえる「味」を再現してくれるものを、吟味しながらもう少し待ちたい。リコーのレンズも素晴らしいが、惜しむらくは撮像素子が小さいことで、いままでカプリオ500Gワイドに辛口の言葉を並べてきたのもそれに尽きる。コンデジの限界なのである。

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(2008/04/29(火) 21:00)

 デジカメの色にご注意。
デジカメ(コンパクトデジカメ)の色再現性のモンダイについては再三述べてきている。フィルムに較べ少ない情報量で効率よく現実をマネようとするためか、自然でない色味が現れるのだ。フォトショップで修正しようとしても膨大な時間がかかるだけで、結局カラーバランスが崩れて絵として成り立たなくなってしまう。正確な色に近づけないのは商品写真として致命的な欠陥だが、インターネット通販ではコンデジで手軽に撮った写真が大勢を占め、まかり通ってしまっている。多くの人が、一見すごく本当っぽく見える、しかしウソの色で構成された仮想世界を、現実と思い込んで商品購入に至っているわけだ。この虚構に嵌ってしまうと、ナマミの良さがわからなくなってしまう恐れがある。もちろんフィルムだってリアルカラーではないが、それっぽい色というか「現実はこうなんだろうな」と見るひとに思わせる再現をしてくれる。私じしんも予算と手間の関係でコンデジを多用してきた。だが、今回思いがけなく故障してしまって35mmフィルムカメラを使い続けていて、色の出方の違いに改めて驚いている。一見するとデジタルの方がリアルなのだが、被写体と照らし合わせてみるとアナログの方が色の“感じ”が出ているのだ。とはいえ、フィルムカメラではWEBのためにフォトグラファーに加えスキャナーの仕事までしなきゃならない。肉体的にまいってしまう。というわけで、当ブログでは統一したカラーマネジメントがとれていないがお許しいただきたいし、おかしな話だがあまり写真をあてにしないでいただきたい。来て見るのが一番です(?)

テーマ:オンラインショッピング - ジャンル:その他

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(2008/04/05(土) 13:49)

 印象か、記憶か? 写真のあり方。
スチール写真は記録するために生まれたものだ。モノクロネガフィルムに始まり、カラーネガ、カラーポジ等さまざまなフィルムは、記憶装置として機能し、印画紙や印刷で紙に定着させることを目的にしてきた。ところが、コンピュータとデジタルカメラの普及で、ディスプレイ上のみでの鑑賞も多く、「記録」から「情報」に一気にワープしようとしているかに見える。デジカメで撮った写真は肉眼で見た世界の凄いイミテーションだ。しかしそれは本物とは違う別世界。人間が見た「印象」を鮮やかに彩りながら伝えているから、情報伝達にはうってつけというわけだ。この世界に酔ってしまうとヤバい。一方、フィルムは現実を効率よく真似ようとするのでなく自身のもの凄い情報量から再生産しようとする。イミテートでなく、リプロデュース。アナログ写真を撮る行為は絵画を描くそれに似ていると思う。考えることが過程として必要だし、そこには想像力の介在があるからだ。描写そのものも絵画に近い。フィルム写真の持つ階調、色味(中間色)も“フィルムトーン”として近い将来デジカメでも再現できるといわれている。しかし、デジタルとフィルムは所詮別モノだと思う。それは消費される情報と、保管される記録の違いである。

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2006年撮影 Copyright © 2008 Tetsuya Endo. All rights reserved.
※諸般の理由で、これからはクリック時の画像サイズを小さめにします。

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(2008/01/19(土) 17:38)

 リゾート地で思うプリミティブなる良さ。
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Copyright © 2007 Tetsuya Endo. All rights reserved. ※クリックすると大きな画像が現れます。

Voigtlander Brillant Anastigmat Skopar 1:4.5 F=7.5cmとKodak Ektachrome 100 HC filmで撮ったブーゲンビリアと雑木林の写真である。フィリピンの人たちはブンガビリアという。猥雑としたマニラでは突出して美しく見えるこの花も、リゾート地プエルトガレラの街中では辺りに馴染んで見える。このところデジタル写真ばかり扱ってきていささか疲れたので掲載することにした。

プエルトガレラだけでなくフィリピンの田舎を歩くと、街の中心にも自然の面影が雑然と残っていてほっとする。土建国家日本が至るところコンクリートで塗り固め失ってきたものを鑑みると、フィリピンは「むしろそのままでいい」と思える。外国人はそういうなごみに惹かれてこういうリゾートに保養に訪れるからだ。穴場が穴場たる由縁である。だが英語のサイトでいかにフィリピンが美しい国か伝える写真とともに"Stay As You're"のスローガンでキャンペーンを張っても、フィリピン人たちの反応はいまひとつだった。

高温多湿のフィリピンでは今やフィルムを使用する一流どころのプロフォトグラファーは皆無といっていいほどだ。私も次々に閉鎖されるE6プロセス扱いラボと残ったところの品質低下もあいまってデジタルにシフトしつつある。英語版ブログでもその辺の心構えを書いた。ハイクオリティだがすぐに飽きられ、捨てられる写真がかんたんに量産されるから、そういう中でデジタルの新しい表現に挑戦しなければという決意だ。

しかし本当は、プエルトガレラのようなところはアナログカメラで撮る方が合っている。敬愛する写真家の安達ロベルト氏が“デジタル明室の作業が、意識の表層だけを使ったグラフィックデータのマニュピレーションに思えてしまいます”と述べているように、デジタルはものごとの上っ面しか捉えられぬ。また、すべてを明るく捉えようとするがために暗い部分がないがしろにされ、しかも明るい部分についてもいちばん明るいところを描ききれない。

同氏はさらに“雨の日があるから晴れの日のありがたさがわかるように、なにごとにおいても、対になるものがあってはじめてそのものの真価が分かる”としてデジタルあってアナログの「儀式」性の魅力がクローズアップされたとする。同感である。そしてこれは何もカメラに限らず、すべてのプロダクトや事象についていえると思う。折に触れて紹介している"PGW"グッズにしても、インフラが整わないフィリピンの田舎(穴場リゾート保養地プエルトガレラはその典型です)や面倒くさいプエルトガレラへの来方にしても、マテリアリズムや文明による軽薄短小化が進んでいるからこそ輝きを放ってくる。

しかしライカを使うことで気づいた点には異論がある。横道に逸れるかも知れぬが、ライカM型連動距離カメラは35mmフィルムカメラの原点ともいえ、35mm判当初のコンセプトをとことんまでつきつめている。わが国のカメラメーカーは連動距離カメラの発展型である一眼レフにおいて解像力アップを金科玉条としてきたが、藤原新也氏も指摘したようにドイツ設計のレンズは国産ではできない空気感を表現でき、父の代からペンタックス使いであった私をカールツァイスに導いた。

国産メーカーのマニュアルレンズではファインダー上とイメージと出来上がりが違い使えないことが多かったが、ツァイスを使うとだいたいイメージに近い絵が上がる確率が増した。ニコンも優れたレンズだったが、レンズと被写体の間を飛び越え直接コピーしているかのような露骨さがあった。解像力至上(技術至上)だとああなるのだと思う。私はマミヤ645も持っているが、ほとんどドイツ玉で撮影している。

ライカのレンズはシュナイダー系で私はシュナイダーのレンズを2本持っているが、きわめてシャープでツァイス系に較べ相対的にコントラストが弱い。シャープといっても国産銘柄と違いしっかりとその場の雰囲気を写し込むことができる。一方ツァイス玉はコントラストで画像を組み立てがちなためオールマイティな被写体向けとはいえず“はずす”ことがある。ところがライカ玉ではそんなことはあり得ず、いってみれば飛び抜けた万能選手といえると思う。そういう意味ではM型ライカはデジタルの万能性に通じるものがある。

アナログからデジタルに一気にワープしその両方を有する時代において、安達氏がライカに出逢いアナログの魅力を「儀式」と表すのはよくわかる。だがライカでなくともよかったと思う。私はライカを飛び越え時代を遡ってニ眼レフの原型だったフォクトレンダー・ブリラントまで行き着いて、ツァイス以上に撮影結果に当たりはずれが多かった。上の写真をクリックしてもらってわかるように決してデジタルのようなシャープさはないし、コントラストだって弱い。しかし、何ともいえぬ「味」があるのだ。

ブランドなどどうでもよかったし、モノとしての所有感などどうでもよかったが、私は写真表現のための「味わい」が欲しかった。そしてそういう要求をつきつめていくと、カメラに限らず素形というか初志というかものの最初の姿「プリミティブ」なところにいつも行き着くのだ。私が穴場リゾート地プエルトガレラに辿り着いたのも同じ道筋だった。あらゆる権威を宛てにせず、自分の眼を信ずる。裏をとっていく。モノに飽き果ててしまった私にはそうして触れた「ものの原型」の姿の感動は想像を絶してしまう。

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(2007/04/11(水) 17:50)

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