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MacディスプレイsRGB IEC61966-2.1 ネイティブ・ホワイトポイント基準。 Mac Display sRGB IEC61966-2.1 Native Whitepoint Standard.
プロフィール
Author:Tetsuya Endo (Ted)
1961年、静岡県生まれ。成蹊大学文学部文化学科卒。 日本デザインセンター、東京グラフィックデザイナーズをはじめ広告企画制作業界でコピーライター、後クリエーティブディレクターとして15年以上務めるも、売れども売れども、買えども買えども満たされず。カメラを手にカナダ横断を往復するドライブで「アジアの日本人」である以外何者でもないアイデンティティを悟るとフィリピンに移住。トロピカルリゾート地プエルトガレラで、サステイナブルエコノミーを目指しEconomy & Ecology, ECOH!をスローガンに、新しいビジネスに挑戦中。日本にいちばん近く安い、海外ウェディングのメッカをつくろう。個人・グループのお客様にマニラからのトランスポーテーション手配、マニラ・プエルトガレラの宿泊手配をします。また、写真撮影も行います。平行して、フォト&ノンフィクション"Transition Japan" 、 "A Man Goes to North" 等を上市できる出版社を探しています。タイムスパンを3年に区切って(3年で事業として目処が立たぬなら撤退)活動しています。人をタダ働きさせたうえ情報だけ盗む、義理人情のない非人間的行動はお慎みください。自分本位な方が来ても日本人の評判を貶めるだけです powered by ECOH! コメントは自由にしていただいて結構ですが、下記連絡先にはお取引きの意志がある方のみご連絡お願いします(ご返事がいただけない方は御免被ります):tetsu95jp@yahoo.co.jp ※webmaster@ecoh.biz.lyは機能しなくなったので上記でお願いします。また「なりすましメール」受信拒否設定したので、メール転送サービスやメーリングリスト経由のメール、またはプロバイダの提供するメールアドレスを送信メールアドレスに設定して該当プロバイダ以外のメールサーバーから送信はしないでください。 tel: +63.928.707.2843
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フィリピンと日本のボタンの掛け違い。
マニラに行く必要があったので、わざわざ8月15日の敗戦記念の日にプエルトガレラを出て、バタンガス周辺の戦跡めぐりをしながら北上した。行く先々で8月15日がどういう日か訊ねたが、知っている人は誰もいなかった。ただ、老若男女を問わず誰もが知っていることがあった。Japanese War(と彼らはいった)において、日本軍は各地で赤ん坊を宙に放り投げ落ちてくるところを刺し殺していたという話だ。大虐殺があったリパシティでの聞き込みは壮絶を極め、同じ日本人として顔を上げて相手をまともに見ることさえできなかった。辺りの住人は子供に至るまで1945年にどこでどういうことが行われたか語り継がれて事実を知っていたが、こちらがしつこく訪ねるまで決して口を開こうとしなかった。どうしてわざわざこんなに辛い思いをしに行くのかわからぬが、それが旅というものなのだと思う。フィリピンでは小学校の教科書で誰もが旧日本軍がどんなことをしたのか学ぶが、日本では義務教育で教えられずほとんど誰も事実認識していない。フィリピンは中国のように被害者意識をオモテに出さぬだけに事はやっかいである。相手の「低音部」をまったく知ることなく、まるでペットのようにフィリピン人(特にフィリピーナ)を愛する日本人は多い。そんな「愛」は早晩破たんする。人間はペットではありえないからだ。思い上がらないほうがいい。そんな「愛し方」は、「剣」を「金」に替えただけで旧日本軍がやっていた行いとまったく変わらぬ。フィリピン人の目はふし穴ではない。この旅はいずれレポートとして写真とともに紹介します。
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(2007/08/25(土) 00:17)
8月15日を迎えるにあたり。
大岡昇平の「俘虜記」に触れたのは確か高校の国語の教科書だった。自己および自己の周りを非常に冷徹に描いていた印象があったに過ぎない。大岡が捕虜になった舞台がここミンドロ島だと気づいたのは、プエルトガレラに移り住んだ後のことだった。死線を彷徨える大岡がまるで地獄のように感じたミンドロ島を、私がまるで天国のように感じているとは何という皮肉かと思った。しかし、「俘虜記」を読み直してみると(正確にいうと教科書に載っていたのは一部だけだったから初めて通読したことになる)、日本兵がいたのは遥か南や西岸で、プエルトガレラ辺りは旧日本軍はいなかったことが判明した。また、全体を読んでみると局部を抽出しただけの教科書と違って、旧日本軍が今日の我々と何ら変わらない通俗的な営みを送っていたことがわかった。 フィリピンに暮らしていると戦争の傷跡と付き合っていかざるを得ない。昨日まで知らなかった事実を今日知り愕然とするといった具合にだ。このブログを始めてからもまきさんという方から問い合わせがあり 、プエルトガレラの対岸のバタンガス湾にも海上特攻の基地があったことを知った。いつも行き来しているあのバタンガス湾にも日本人の骨が沈んでいるのである。「俘虜記」を読んでみても数えきれない旧日本兵の死は無駄死に、犬死にであったが、彼らなくして今日の私はあり得ないのだから、こんどバタンガスに渡るときは海に向かって手を合わせねばならない。しかし、フィリピンに暮らしていてむしろ問題なのは日本人の死よりもフィリピン人の死なのだ。 バタンガスに大岡の所属する大隊本部があったことから、それはどこかと調べているうちにバタンガス州内の“リパの大虐殺” について知った。リパシティといえばこれもマニラに行き来する際通り過ぎているところだ。マニラやその他訪れる各地で旧日本軍の残虐行為は聞き及んでいたが、こんな近くでこんな大規模な虐殺があったとは露ぞ知らなかった。だが、知らなかったでは済まされない。プエルトの友達に聞いてみたら昔リパで働いたことがあって当地では誰もが知っている事実だという。そういうところに日本人がのこのこ出かけて行くことを想像いただきたい。地元の人はそんなことおくびにも出さないだろう。しかし私はバンタヤン島で「どうして日本人はあんなに残酷なんだ? スペイン人もアメリカ人も、あそこまで非道くはなかった」と唇を震わせながらいわれたことを覚えている。個人ではなく日本組織(戒律)が引き金になったと説明しても理解してもらえぬ根深い問題である。「でもOK、日本人はいまは友達だから。恨まない」と続けた彼の心情の複雑さを察していただきたい。 フィリピンに来るとき、ただでさえ見下しがちな日本人は、こういう歴史的認識を欠いているとさらに誤解を呼ぶ。忘れないでいただきたいのは、彼ら彼女らは日本人とまったく同じ人間なのだ。ただ生まれ育ちが違うがために気の毒な状態になっていることが多い。もし自分がそういう境遇で育っていたらどうなったか想像すればすぐにわかることだ。われわれは日本人である限りわれわれの先輩がしでかしたことについても影響を受けて生きていく。こんどマニラに向かう際には必ずリパシティに立ち寄り、犠牲者たちに祈りを捧げるつもりだ。ターラク州カパス「死の行進慰霊碑」 Copyright © 2007 Tetsuya Endo. All rights reserved.
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(2007/08/13(月) 11:54)
プエルトガレラにはなぜ小魚が多いか?
「プエルトガレラの全ビーチめぐり(2)- Talupak Beach」 で私はこう書いた。ーなぜ小魚がプエルトで多いかということだが、これはわが故郷の浜名湖と同様の法則が当てはまるのでは? 浜名湖は潮入り湖で真水と海水が入り交じり魚たちのエサが豊富。それで魚たちは外洋からのっこんで来て産卵し、その子たちはある程度大きくなるまで湖内で育ち外洋に出ていく。プエルトも豊穣の海といわれエサが豊富なので、ここである程度大きくなるまでいて沖に出ていくのではないか?浜名湖は魚たちの揺りかごといわれるが、プエルトガレラもそうである可能性は高い。 昨日話したフロンティアスキューバのベテランダイビングインストラクター、リックはこともなげにこの説を否定した。たんに漁師が獲り過ぎただけのことだというのだ。これは地元漁師の説とも符号する。リックによると50年前は大きい魚がたくさんいたのだそうだ。そういえばセブからマニラへのスーパーフェリーで乗り合わせた元米海軍水兵が、ヴェルデアイランドパッセージからマニラ湾に到る辺りで、太平洋戦争終結の頃は飛び魚が次から次へと甲板に乗ってきたと懐かしそうに話していた。魚を小さいうちに獲ってしまうフィリピン漁師の問題と課題についてはシキホール島の井上氏も論じている が、例えば幼魚のカツオが果たして大きくなって日本近海に達するのだろうかという疑問もある。しかし、なによりもカツオの幼魚クラスの魚がプエルトでは最廉価クラスの魚なのであり、庶民である我々はこれを食するしかないというモンダイもあるのである。値段はそれでもシキホール島の3倍ほどする(1kg100-120ペソ位)。プエルトではマーケットで1kg80ペソ以下で魚が手に入ることはまずない。そこにはラクして儲けたいフィリピン人気質の中間搾取業者がはびこる点も大きいのだが(実際私の友達はそんな中のひとりなのだ)、これは後回しにするとして、先日ナイトフィッシングに同行したら巨大なイカが獲れた。Copyright © 2007 Tetsuya Endo. All rights reserved. 岸のすぐ近くを巣潜り水中銃で捕えたもので、彼らはこうして雑魚には目もくれず大物ばかりを狙うのだが、これは幼魚育成にも良い方法だと思う。皮肉なのは彼らは商売で魚を獲るのでなく、楽しみを兼ねまた自分の家族や友人たちと食するため(自給自足のため)なのである。いい魚は売らないのだ。このときは私の客人をもてなすための”ナイトフィッシングショー”として獲れたての魚たちを刺身やBBQにしてくれたのだが、これについてもまた後でリポートしたい。 このとき確認できたのは、岸辺でも大きい魚は存在するということだ。彼らはふんだんにいる小魚を獲物にでかくなっている。これは面白い現象だ。考えてみればプエルトの魚には中間がない。小さな魚たちとそれを餌にする大きな魚たちだ。かつては中間クラスの魚も多く存在したであろう。とすると、上述の漁師やリックの説を裏付けることとなる。大きな魚が小さな魚を餌食にしてのさばっているのは、どこだか極まった資本主義の社会を目にしているようで面白い。が、そうして変わりつつある生態系には憂慮せざるをえない。
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(2007/08/12(日) 09:38)
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