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故障したリコー・カプリオ500Gワイドが交換機として戻ってきたことから、写真を撮る道具であるカメラについて改めて考えさせられた。電源スイッチが入らなくなってしまったのだが、新品に交換とはまったく驚きだった。デジカメやコンピュータなどデジタル機器の寿命は5年という話が頷ける、まこと使い捨ての感覚ではないか? 駄目になったら買い直せばいい、とか、丸ごとリセットしちゃえばいい、という感覚は、そのまま安易に離婚する今日の風潮と重なって見える。実際には人生なんてリセットできないのである。人は物ではないし、物であっても、買い替えたって抜本的なモンダイ解決にはならないのである。モノを使い倒してその限界まで試してないケースが大半だからだ。メーカー側(マテリアリズム)の言い分として、ニューテクノロジーが搭載されました、という謳い文句があるわけだが、テクノロジーとそれを使う人の心の動きは別物だ。
![]() 2000年にコンタックスN1が登場したとき、私はついに至高かつ万能な35mmフィルム一眼レフが現れたと思った。「リゾート地で思うプリミティブなる良さ」で述べたようにカールツァイスに惹かれていたし、しかも最新設計のオートフォーカスズーム。オートブラケットとともに決定的な瞬間を間違いなく収めることができる筈だった。ところが実際はがっかりしてしまった。思うような写真が撮れなかったのだ。性能が悪かったのではない。しかし機械が合わせたピントはどこか私の心とずれており、露出計が計算した明るさもまたどこかずれていた。3段階の露出のためカシャカシャカシャと3回切れるシャッターのタイミングも。つまるところ、それは私が撮った写真というよりも機械が撮った写真なのであった。肝心のゾナーレンズの写りもコンパクトカメラ並に味気なかった。上の写真は同カメラで"Transition Japan"の旅をしていたとき撮ったものだ。私はこの旅の後、ピントはおろか露出まで自分で決めなければならないフルマニュアルの機械式一眼レフ、コンタックスS2に戻った。原点回帰というわけだ。 ![]() All the photos above: copyright © 2008 Tetsuya Endo. All rights reserved. 思えば、アナログカメラもテクノロジーに走りすぎたために衰退してしまったのではないか。京セラコンタックスが行きついたのは軽薄短小なコンパクトカメラ並みの写真であるし、オートオートと叫んで感性が摩耗していくかのような商品開発の果てにデジタルカメラにとって替わられるのは当然なのかも知れない。さて、カプリオが戻ってきて最初に撮ったのが上のフィアンセの写真である。ブレているが、これが私の感情であるし、実際この朝の彼女の心も揺れていた。コンシューマーに目を向けるカメラメーカーが手ぶれ軽減などと称したり、顔をきれいに写すモードなどといって「ニューテクノロジー」搭載に余念がないが、ただ「きれい」なだけの写真に感動があるのだろうか? カメラメーカーの皆さんももう少しプロの方に顔を向けて、写真表現の奥深さを追求していかないと、一般のひとたちの写真を見る目を養えないことになり、結局自分で自分の首を絞める結果になるのではありませんか? 軽薄短小なデジタルだからこそプリミティブな感動を大切にしたいと思う。コンデジのなかでリコーを選んだ理由のひとつはアナログ的な表現ができると思ったからで、「「プエルトガレラの光と陰」第五弾UP」で述べたが、デジタルの可能性を追求すればするほど逆にアナログ的表現になっていったのも当たり前といえば当たり前の結末だったろう。若いデジタル世代には本当にお金を払って欲しくなるような写真を撮る奴がいるが、私にはああいう写真は撮れない。なんというか目のつけどころがデジタルで、彼らにはいま市場に出回っている大半のデジタル一眼は合っているだろう。私はどっぷりアナログなので、フィルムトーンとかフィルムルックとかいえる「味」を再現してくれるものを、吟味しながらもう少し待ちたい。リコーのレンズも素晴らしいが、惜しむらくは撮像素子が小さいことで、いままでカプリオ500Gワイドに辛口の言葉を並べてきたのもそれに尽きる。コンデジの限界なのである。 テーマ:★カメラ&レンズ・機材 - ジャンル:写真 |
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