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マテリアリズム(ものづくりの極み)と共同体の崩壊の関係。
面白い記事を見つけた。「【溶けゆく日本人】ご近所よりネット 人間関係の不全」というものだ。家や共同体(国)の繁栄を目的とした伝統的価値観が崩壊した日本では、自分さえよければいい発想となり、自分にとって心地よい「自己愛の充足」だけを図ろうとするというのである。「自己愛の充足」に欠かせぬのが「モノ」であろう。これと対極にあるのがフィリピンといえる。個人は家や一族郎党あるいは地域共同体にがんじがらめになり、むしろその人間関係のなかに歓びを見いだしている。最も、そういうなかでもマテリアリズムは進んでおり、その場合面白いことに個人主義に走ってしまう日本人と違って、フィリピン人は一族郎党単位でエゴイスティックになっていくのであるが。先の大戦のフィリピンが舞台である、大岡昇平氏の「俘虜記」を読んで思ったのは、日本人はもともと強欲なのではないか、ということだった。食欲・性欲・睡眠欲いずれにおいても自己の強い欲望を遂げようとする。その活力は戦後においても経済活動という形で続いているのだ。かつては国家や共同体という歯止めがあったために、その「強欲」ぶりが抑制され(あまりに抑制されるとそれは戦時中強姦や虐殺という反転となって現れ)たのだが、現在は、適切な例えではないかも知れぬが、どこにいってもセブンイレブンがあるかのように錯覚しまるで幼児のような万能感で振舞っているように思う。フィリピンではリタイアメントビザ(永住ビザ)を取って老後を過ごされている方も多い訳だが、日本社会全体から共同体意識が希薄になっていたのに加え、会社組織という歯止めもなくなってしまって、まさに自己の欲望だけを手に入れようとしている方をまま見かける。三つ子の魂百までというが、幼い頃から習い性となっているのか、狭い了見で己の繁栄だけを画策し他人の失敗をざまあみやがれと喜ぶ「島国根性」を異国まで持ち込んでしまっている(これがよく外国で問題になる日本人コミュニティの希薄さの原因か?)。弱輩者が申し訳ないが、自分に得になるか損になるかだけで「義理や人情」を忘れているようでは、フィリピン人はおろか日本人同朋との付き合いもうまくいく筈がない。申し訳ないが、そういう方たちはすべからく製品という製品の質にうるさく、「ものづくり」を諸手を挙げて讃歌し、今日の日本の製造業を築いてきた張本人たちなのだ。いったい、カナダでもいろんな民族に遇ったが、どういうわけかアジアの諸民族が飛び抜けてモノへの執着が強かった。それは自戒を込めていうが、己に欠落するところを何かに仮託しようとし、その欲求を抑えられない点であたかも猿のようであった。亡き祖父が、「いいか、人という字は一人が一人を支えてできている。人間とは人の間と書く」といっていたことを思い出す。
追記:上記記事を「Yahoo!セカンドライフ」に転載しました。

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【2007/09/08 12:36】 | ポストマテリアリズム(フィァッピー) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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